ドレスシャツの歴史
誕生
現代のシャツの源流は、古代ローマで日常着とされていた、「トゥニカ」 (tunica) であると言われている。
「トゥニカ」 (tunica) とは、主に男性が着用した、上着の下に着る袖の無いワンピース状の物全般を差し、膝丈程度から、くるぶし丈までの長いものが主であった。
ローマ帝国貴以降、袖が付けられたものが着用されるようになり、中世まではシンプルで、単なる下着としての機能を与えられるのみであった。
中世・下着としてのシャツ
15世紀に入り、フランスを中心とした宮廷文化が栄え始めると、女性のみでなく、男性もゴージャスな服装を着る事が、多くなってきた。
女性のドレスと同様に、男性の上着も豪華になっていったが、それまではただの下着でしかなかったシャツも、その流れでボタンやフリルの襟と袖口などが装飾され、本体・袖・襟という、現代のシャツを構成するパーツが出来上がった。
この頃、当然庶民の服装は着古した物が殆どで、白い衣服はほぼありえなかった。しかし貴族は汚れればすぐに新しい物を着ていた為、着用するシャツは常に真っ白であった。
これは常に白いシャツを着られるという、財力をアピールする物でもあり、庶民に対して「支配する者」と「支配される者」を誇示する者であったが、こういった貴族の華美な生活が、市民革命の呼び水となったという意見もある。
市民革命、産業革命後、新しい支配層であるブルジョアジーが選んだのは、一般市民と大差の無い、簡素で上質な服装であった。そのため、貴族を象徴するパーツの一つであった華美な服装は嫌われ、その要素は削れらていく。
その流れの中で、本体・袖・襟という構成のみを残し、シャツはシンプルな元の下着としてのみの役割に、戻る事になる。
因みに、「ワイシャツは下着である」と口煩い人が今でも言うが、1930年頃にブリーフなどの腰に履くアンダーウェアが登場するまでは、ワイシャツの前後を股の下で結んで、下着としていた。
この頃の話しを持ち出しての発言であると思われるが、こういった発言をする人がブリーフの代わりをワイシャツで果しているか、となると、行っている人はいないし、現在のワイシャツは底まで裾が長くないので、ほぼ不可能である。
日本での普及
日本へは、江戸時代の幕末から~明治維新の最中に日本へ伝わったと言われている。
ただ、明治に入っても、シャツを着る様な洋装の人間は軍隊の軍服や、政府の一部の高官のみで、一般的な庶民が洋装を着る様になるのは、都心でさえ明治後期に入ってからである。
地方や田舎の一般庶民に至っては、昭和に入っても和装が主流で、第二次大戦後に、やっと普及をし始める。
戦後、会社勤めのビジネスマンが増加すると同時に、シャツが爆発的に普及する。
そして日本は欧米の先進国以外ではほぼ初めて、一般庶民がスーツ・シャツの所謂ビジネススタイルを着用する国となり、現在では最もスーツ所持率の多い国の一つとなっている。